


元衆議院議員。1967年衆議院初当選以降、当選11回を果たす。内閣官房長官、運輸大臣、文部大臣、自治大臣、国家公安委員長等を歴任。2001年小泉内閣誕生と共に財務大臣に就任。2003年10月政界引退。勲一等旭日大綬章、東大阪名誉市民賞、フィリピン・日本友好賞、マレーシアより「タン・スリ」の称号を伴うパングリマ・セティア・マコタ勲章を受章。学校法人東洋大学総長。慶応義塾大学経済学部卒業。
『2020年日本のあり方 21世紀世代への7つの提言』東洋経済新報社
『日本の心 塩川正十郎対談集』月刊「武道」編集部/編日本武道館
『佳き凡人をめざせ』生活情報センター 等。
自民党政権のご意見番として広く知られる政界の達人。議員を引退以降、その人望は益々高まり、弁舌と切れ味は一段と鋭くなっています。一柳の母校、八尾校の大先輩。 (一柳良雄談)

元通商産業省事務次官。1955年通商産業省入省。財団法人機械産業記念事業財団会長。内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、産業政策局長を経て1986年通産省事務次官に就任。退官後、神戸製鋼所副社長、副会長、電通総研研究所長、電通顧問等を歴任、現在、産業構造審議会委員、中央環境審議会委員等を務める。東京大学法学部卒業。
『活力ある産業経済モデルへの挑戦』 日経BP企画
『産業政策』 ぎょうせい
『日本への警告』 PHP研究所 等。
政治・経済・文化・アカデミズムを突き通す鋭い視点からの分析には定評があり、博学、多彩、多趣味で飾らない人柄は各界からの信望を集める。一柳の通産省の大先輩。 (一柳良雄談)

1968年東京大学卒業後、通産省入省。1973年米国ハーバード大学(ケネディスクール)行政学修士取得。田中角榮通産大臣らの秘書を務めた後、近畿通産局長、総務審議官等を歴任。1998年退官。2000年株式会社一柳アソシエイツを設立し独立。現在は、大企業からベンチャー企業までの経営者の相談相手として経営コンサルティングを手掛け、多くの経営者の信頼を得ている。
『役員室にエジソンがいたら』(監訳) かんき出版 (2003年)
『一柳良雄のベンチャー実践塾』編著 日刊工業新聞社 (2003年)
『元気と知恵の経営』 産経新聞出版 (2007年) 等

「国鉄改革3人組」(松田昌士、葛西敬之、と共に)と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。他に横綱審議会委員、(財)大阪体育協会会長、日本ラグビー協会評議員、日本セーリング協会理事等を務める。財団法人日本美術協会理事を務める。東京大学経済学部卒業。
関西師友協会は、歴代総理の指南役や「平成」の元号を考案したことでも知られる陽明学者・東洋思想家である安岡正篤氏の教学に学び、東洋の精神・文化を尊重し、師と友との交わりの中で、人格・教養を高め、時局を生き抜こうとする同士・同行の集まり。
国鉄改革の男。理論と実践、包容力、人間の基本的なものを大事にするなど、ほんものを沢山もっている大人物。酒とともに交わす会話は楽しく勉強になる大先輩。 (一柳良雄談)

ミキハウスグループ社長 1971年、ベビー子供服製造卸会社・三起産業として創業、78年三起商行株式会社を設立し、関西のみならず日本を代表する世界的な子供服の製造・販売会社へと成長を遂げ、教育、絵本販売、外食、子育て支援、スポーツ支援等、子供を取り巻く環境全てをプロデュースするオンリー1企業へと前進を続ける。一代で、国内約200店舗、海外8ヶ国23店舗、従業員1000人を超えるミキハウスグループを築き上げた。2000年にはITで子育て情報を提供する「ミキハウス子育て総研」を設立。関西大学経済学部中退。
子供に夢をあたえ、子供たちに本物の感動を経験してほしいと考えているナイスハートの創業経営者。かざらず自然体でやさしく同時にポリシーをきちんと持った異色の‘オッチャン’。一柳の親友。 (一柳良雄談)

東京芸術大学教授として後進の指導に携わるかたわら、アフレスコ手法による大掛かりな壁画の制作や精力的な個展の発表を行う当代きっての洋画家。独立美術協会会員。安井賞「アンセルモ氏の肖像」、イタリア・マニフェスト賞、美術文化振興協会賞、日本芸術大賞、毎日芸術賞、日本芸術院賞等の各賞を受賞。「銀嶺の女」は長野冬季オリンビック公式ポスター。2000年フランス造幣局の依頼でブロンズ象「千の夢をもつ男」製作(パリ造幣局美術館に展示)。国立近代美術館他収蔵多数。東京芸術大学卒。
『絹谷幸二作品集』 ビジョン企画出版社
『絹谷幸二画集』 T.U 求竜堂
『絹谷幸二画集』 T.U 講談社
『ウソ力の鍛え方』 日本経済新聞出版社
『風の道仏の道 画文集』 日本放送出版協会
『壁は二〇〇億光年の夢を見る』 美術年鑑社 等
「現代絵画の旗手」として我が国のみならず、世界的に知られるアーティスト。芸術を越えて、経済、政治、社会も語る異才。酒が入ると人なつっこくなる好人物。(一柳良雄談)

1953年、東京重機工業株式会社(現JUKI)入社、1965年常務に就任。1966年、サンリット産業を設立、代表取締役社長に就任。1997年、藍授褒章、2004年には旭日中綬章授賞。日本商工会議所中小企業委員長、大阪商工会議所副会頭、(社)日本衣料縫製品協会会長、(社)関西ニュービジネス協議会副会長などの公職を歴任。小渕総理の諮問機関・産業競争力会議メンバー。東京大学法学部卒業。
35歳ににして上場企業の重役のポストを捨て、自身の本当の力を試すために大胆に起業し、ゼロからユニフォームのトップメーカーを作り上げた信念の人。企業経営のみならず、日本の中小企業のオピニオンリーダー的存在。一柳が、その決断力、実行力、向学心を尊敬する大先輩。 (一柳良雄談)

三井石油化学を経て、ボストン・コンサルティング・グループ社の国内採用第一号コンサルタント。30代から経営の実践に転じ、赤字会社再建やベンチャー投資など3社の代表取締役を歴任。86年且O枝匡事務所を設立し、16年にわたり上場企業を主たる対象に不振事業の再建を行い、ターンアラウンド・スペシャリストとして活動。2002年潟~スミ(現(株)ミスミグループ本社)代表取締役・CEOに就任。一橋大学経済学部卒。スタンフォード大学MBA取得。07年3月まで一橋大学大学院客員教授。
『戦略プロフェッショナル』 日本経済新聞出版社
『経営パワーの危機』 日本経済新聞出版社
『V字回復の経営』 日本経済新聞出版社
数々の現場で理論を学び修羅場を経験したわが国屈指の企業再生のプロフェッショナル。ミスミグループの総帥として飛躍的にその業績を伸ばす。「平時の危機感に満ちた組織とは何か」が同氏の信条。一柳が、企業再生や人材・経営者育成について意気投合し、尊敬する友人。 (一柳良雄談)

戦争で父親を失い、13歳くらいから近所の修理工場に出入りし、モノづくりの経験を積む。県立和歌山工業高校の定時制に通う傍ら、数々の発明を行う。1962年に会社を興し、1964年に全自動手袋編機の開発に成功。横編機業界に進出後は、いち早くコンピュータ化に取り組む。1995年に日本のニット産業復活の切り札といえる「完全無縫製型横編機」を販売開始。2001年から和歌山商工会議所会頭を務める。和歌山市出身の71歳。
「ビフテキを食べたい」という幼少時のハングリー精神を原点に、独創的なアイデアで次々と特許を取得。創業以来、手袋編機に始まり、ニット業界の歴史を塗り変える多くの編機を世に送り出してきた。独創的なモノづくりを続ける世界のトップメーカーの経営者。次代へのメッセージとして「愛、氣、創造」を説く。一柳は、氏の知識集約型産業時代に対する先見の明とエンパワードな取り組みを尊敬する。 (一柳良雄談)

(株)西武百貨店、(株)ニッセイ基礎研究所主任研究員、東洋大学経済学部社会経済システム学科助教授を経て2007年より、現職。構造改革特区推進本部評価委員(内閣府)、少子化社会対策検討会委員、社会資本整備審議会・交通政策審議会(国土交通省)等を歴任。関西大学大学院修士課程 工学研究建築計画学専攻終了。
『バリアフリーのまちづくり』 日本経済新聞社
『福祉の仕事』共著 日経事業出版
『新時代の都市計画』共著 ぎょうせい
『少子社会への11人の提言』共著 ぎょうせい
『分権型社会をつくる』共著 ぎょうせい
『ソーシャル・ガバナンス−新しい分権・市民社会の構図』 共著 東洋経済新報社 等
テレビのコメンテーターとして福祉、教育をはじめとする社会問題に対し、鋭い分析を加える。若づくりの美人風ではあるが、鋭い考え方と話題の豊富さは私を越える。酒が入ると楽しくなり、豪快さもみせる。一柳の友人。 (一柳良雄談)

1957年、株式会社寿屋(現サントリー株式会社)入社。75年ロンドン支店長、77年帰国後、取締役、常務取締役、専務取締役を経て95年取締副社長。2002年相談役、2005年顧問。2000年〜02年社団法人関西経済同友会代表幹事。現在、財団法人大阪観光コンベンション協会会長、社団法人関西経済連合会常任理事、国土交通省社会資本整備審議会河川文化会委員、国立大学法人大阪大学経営協議会学外委員等を務める。大阪大学法学部卒業。歌舞伎や能、文楽等、日本における舞台芸術の発展に辣腕を奮っている。
強烈な個性のオーナーを補佐し、事業を発展拡大させた大番頭さん。それだけにとどまらずそこからはみ出すパワー、豪快さ、知性も兼ね備えている。苦労と経験と知恵の塊、人間味溢れる面倒見の良いおじさん。外見に似合わず(?)文化、芸術への造詣も深い。 (一柳良雄談)

NHK報道番組プロデューサー、ニューヨーク特派員、大阪放送局長、NHK東京本部理事等を経て現職。心学は、江戸時代の享保14年(1729)、石田梅岩が京都で唱え始めた儒学や国学と並ぶ有力な学派の一つ。その実践道徳の根本の内、最も尊重するのは正直の徳。大阪21世紀協会(以下「協会」)は、昭和57年に「大阪21世紀計画」の推進母体として、行政・経済界・市民団体・有識者などによって設立された団体。東京大学卒業。
『なにわ大阪興亡記 ―だから元気を出さないと―』 日本文学館 等
誠実で好奇心旺盛な勉強家。文化、経済、行政、ジャーナリズムを融合した見識を持つ、人なつっこい情熱家。石田梅岩の石門心学の「心学明誠舎」の理事長であり、江戸時代の大阪の知恵袋と言われた大阪大学の源流である懐徳堂(享保9年(1724)に創設された大阪の学問所)にも明るい。歴史観、世界観に明るく、グローバルセンスにも長ける、大阪の地域興しのエキスパート。 (一柳良雄談)

マッキンゼー&カンパニーのニューヨーク事務所でコンサルティング活動を開始し、その後日本で大阪事務所を立ち上げた創成期メンバーの一人。ベイン&カンパニーの日本代表パートナーとして多くの企業の経営戦略に携わった後、資産運用総額7兆円を超えるベインキャピタル・ジャパンの会長権シニアエグゼクティブに就任。マサチューセッツ工科大学経営学修士取得。
『日本企業進化の条件 Evolution』 東洋経済新報社
『顧客ロイヤリティを知る「究極の質問」』 フレッド・ライクヘルド/著 堀 新太郎/監訳 鈴木泰雄/訳 ランダムハウス講談社
『「創業」主義経営 新しい日本型企業への挑戦』 プレジデント社
『「攻め」のリストラ改革 企業を活性化させるSCRAP戦略』 堀 新太郎 著/火浦俊彦 著 ダイヤモンド社
『戦略コンサルタント活用の鉄則 企業変革プロフェッショナルの選び方・使い方』 ダイヤモンド社
『勇気あるトップが企業を変える戦略的改革への糸口』 堀 新太郎 著/火浦俊彦 著 ダイヤモンド社 等
わが国を代表する経営戦略コンサルタント。現在は運用総額7兆円を越えるプライベートエクイティファンドの日本の代表として短期的な利益を追求するアクティビストとは一線を画し、中長期的観点から企業価値最大化への支援を行う。一柳のコンサルタントの先生。 (一柳良雄談)

米国IBM社入社後、日本IBM(株)へ移り、日本初のオンライン・バンキング・システムの構築を手がける。IBMアメリカにて大口顧客部門部長、日本IBM(株)事業統括本部長、コンパック(株)代表取締役社長、同取締役会長等を歴任。一柳アソシエイツ特別顧問。カリフォルニア大学(UCLA)大学院経営学部卒業、(MBA)コロンビア大学大学院、エグゼクティブ・マネジメントスクール修了。現在、20数社のベンチャー企業の支援活動、大企業の企業再生等に従事、日米の経営に精通する。Entrepreneur of the Year Japan審査委員長等も務めた。
『一柳良雄のベンチャー実践塾』 一柳良雄 編著/村井 勝(他)著 日刊工業新聞社
日米のIBMでキャリアを積み、コンパックコンピュータ日本法人をゼロから育て上げたベンチャーのプロ。日本経済活性化のための「ベンチャーの大衆化」「起業家精神」の重要性を唱える。民にいながら公の精神を持つ。一柳のベンチャーの先生。 (一柳良雄談)

昭和33年三井物産(株)入社、同社取締役 化学品総括部長、取締役 業務部長、常務取締役、米州監督兼米国三井物産株式会社社長、専務取締役、代表取締役副社長等を歴任。米国デュポン社取締役兼務、三井化学株式会社代表取締役会長。ダイキン工業株式会社経営諮問委員、中外製薬株式会社経営諮問委員、ソフトバンクBB株式会社社外取締役、リップルウッド経営諮問委員等も務めた。平成15年森ビル株式会社特別顧問、平成16年フォレスト オーバーシーズ株式会社代表取締役社長に就任し現在に至る。早稲田大学第一政治経済学部 経済学科 卒業。
豪放磊落。グローバルに活躍。粗にして野だが卑ではない、大人物。一柳が歳をとったらこんな‘おじさん’になりたい!と思う人 (一柳良雄談)
他 現役国会議員、官僚等